人生は「CARPE DIEM」 with ロレックス

大好きなロレックスと歩む日々を綴ったブログです。

Wedding Anniversary的な旅行記(Part2)

こんばんは!

いや~、休み明けのきょうもバタバタでようやく一息といった感じです。

「いつ以来?」と、皆さんからツッコミを入れられそうですが(笑)、まさかの連日アップをカマさせていただきます。


でもって、次に我々が向かったのは、「武田神社」だったんですね~

武田神社をググってみると…

【Wikiより引用】
〇躑躅ヶ崎館と武田城下町

所在する甲府市古府中町は甲府盆地北縁に所在する。戦国時代の永正16年(1519年)に甲斐守護・武田信虎により居館(躑躅ヶ崎館、武田氏館)が築かれ、家臣団が集住して武田城下町が形成された。以来信虎・晴信(信玄)・勝頼三代にわたって武田領国の中心地として機能し天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後もしばらくは政治的中心地であった。豊臣大名時代には南方の甲府市丸の内に新たに甲府城が築城され、江戸時代にかけても甲斐統治の政治的中心地となったため、武田氏館は破却された。館の破却時期は不明であるが、『甲斐国志』によれば要害城が慶長5年(1600年)に破却されていることおから、同時期であると考えられている。

これにより城下町も南方に移動し、武田城下町は甲府城下町の一部として吸収される。江戸時代に武田氏館跡は「古城」「御屋形跡」と呼称され、武田氏時代を偲ぶ名所のひとつとして旅行者が訪れる程度であったが、明治期には史跡保存運動が起こる。


〇明治初期の「機山公霊社」建設運動

1872年(明治5年)6月、明治新政府は地租改正に際して武田時代の遺制とされる大小切税法の廃止を断行し、これに対して峡東地域の諸村が蜂起し、大小切騒動が発生する。大小切騒動は鎮圧されるが、首謀者の多くは処罰され、山梨県令・藤村紫朗の主導する県政にも影響を及ぼした。

大小切騒動の後に山梨県庁は山梨県民の武田信玄への追慕を障害と認識し、明治初年には『峡中新聞』においては信玄を悪人とする論説を掲載することも行っていた。このころ全国的にも自由民権運動が興隆し、山梨県でも反藤村県政の動きとして民権運動が発生する。明治政府はこれに対して地域の偉人を崇拝する感情を尊重する方針に転換し、山梨県では1880年(明治13年)6月には明治天皇の東山道巡幸が行われ、同年6月17日から6月22日にかけて明治天皇の山梨県巡幸が行われた。山梨県巡幸では巡幸御用掛から武田信玄ゆかりの社寺の調査・保存のために保存金を下賜された。その意図は大小切騒動で消沈した山梨県民に対し、武田信玄に対する心情を回復することで、新政府への帰属意識を増幅させるものであったという。

山梨県では県令藤村の相談役でもある第十国立銀行頭取の栗原信近を中心に、尾沢孝治、小田切謙明、加賀美平八郎ら民権運動家が霊社建設に賛同し、古城地の公園化と「機山公霊社」建設運動が起こる。山梨県では古城地の官有地払い下げを行い公有地化を進めるが、民権運動家でも依田道長ら巨額の費用を投じた霊社建設に否定的な意見も上がり、躑躅ヶ崎館は県立躑躅ヶ崎公園となり、霊社建設は一時棚上げされた。なお、県立躑躅ヶ崎公園は当時、現在の甲府市太田町に所在する太田町公園(甲府市遊亀公園)に次ぐ二例目の県立公園であった。


〇武田神社の創建

1899年(明治32年)には信玄祭祀神社建設運動が再燃し、『山梨日日新聞』によれば同年5月24日には県内の有志が5万円、県外の関係者から5万円の計10万円の募金計画が起こり、山梨県知事の小野田元熈がこれに賛同したことを報じている。同年6月20日には甲府市太田町の望仙閣において武田神社建設協議会が開催され、小野田知事のほか栗原信近、近藤喜則、雨宮広光、渡辺信、八田達也、深沢嘉猷、加賀美嘉兵衛らが出席し、発起人には若尾逸平、広瀬久光、三神有長、山口嘉兵衛らが名を連ねた。こうして山梨県内外の政財界有志により「武田会」が結成され、神社創建運動が再燃する。

1904年(明治37年)の日露戦争後には神社に武神・軍神を祀ることが奨励され、軍神と評される武田信玄を祀った神社創建の機運が高まった。1906年(明治39年)には甲府で一府九県連合共進会が開催され、この時は山梨県知事・武田千代三郎の夫人を発起人代表として義金が募られており、このころには「武田会」は会としての実態を失っていたと考えられている。

また、武田信玄は『甲陽軍鑑』に記される父親の信虎を追放した親不孝な人物とする評価が存在していたが、明治国家では「忠孝」が重視されていたため、明治後期に山梨県の郷土史家の間ではそれを覆す信玄の事跡発掘が行われ、明治37年の内藤慶助『武田信玄事跡考』、大正4年の土屋操『甲斐史』など武田氏研究にも影響を与えた。

1915年(大正4年)、大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、1916年(大正5年)には山梨県知事を総裁とする「武田神社奉建会」が設立される。1919年(大正8年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われた。別格官幣社への昇格運動は上杉謙信を祀った上杉神社が指定されていたことへの対抗意識も加え、郷土史家は内務省が昇格条件に求める勤皇事跡の発掘に務めた。

4月12日に行われていた例大祭には神輿の後に地元相川住民による武田二十四将を模した騎馬行列が行われており、1947年(昭和22年)からは甲府市と市商工会議所、観光協会の共同開催で桜祭りが開催され、最終日を例祭に合わせていた。戦後には観光業振興により武田信玄が歴史的観光資源として着目され、1966年(昭和41年)からは甲府信玄祭りが開催され、以来は行政主導による都市祭礼としての信玄公祭りが4月12日前の土日に開催されており、地域住民による例祭と共存している。

境内にある宝物殿(入場は有料)には、太刀「吉岡一文字」や信玄公の軍扇、武田二十四将図等、武田家ゆかりの貴重な品々が収められている。


という、由緒正しい神社なのですね~

では、行ってみましょうか。
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まあ、武田真治と写真は撮らんでもイイでしょうね(笑)
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オフコース、史跡となっております。
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かの有名な、「動かざること山の如し」的なフレーズもありつつもで…
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時期的に、七五三とドンピシャですよね。
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オット~、コイツは能舞台でしょうか?
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本殿が見えます。
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しかしながら、気になる能舞台?にズームイン!
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いや~、神社にこういった立派な舞台って、なかなかないですよね?
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おっと、これはこれは、ヒゲおやじさんが好きそうな「ご聖水」ですね(笑)
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って、只野井戸Likeやないか~い!
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とか言いつつも、ちゃんとお参りはしておきました。
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その後、私の強い希望により、武田神社からほど近い、山梨大学を訪れました。

理由は聞かないでください(笑)
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「梨大」と言えば、やはりこの方でしょう!
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折しも、この日は学祭である「梨甲祭」が絶賛開催中でしたね。
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地方の国立大学卒でノーベル賞って、相当レアケースだったようですね。
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「先生、おひとつお願いいたします。」って感じでしょうか?
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でもって、肝心の学祭ですが、ビミョーな盛り上がりでしたね(笑)
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山梨大学 or 放送大学?

どっちかハッキリせんか~い!(笑)
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こんな感じで、山梨大学を後にし、再び武田神社前に戻りまして…
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カミサンがご所望の「信玄アイス」を食べることとなりました。
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所謂、山梨銘菓である「桔梗信玄餅」のスーアイVerってとこでしょうかね?
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武田神社の周りは、お堀っぽくなっておりまして、このように、アフラックのCMバリにアヒルが泳いでおりました(笑)
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まあ、そりゃそうだろうって感じですね。
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武田神社、また来るぜ!←ホントかよ!
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でもって、次の行程で向かったのは、甲斐善光寺でした。
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甲斐善光寺もググッときますと…

【Wikiより引用】
〇創建から戦国期の甲斐善光寺

甲斐善光寺は永禄元年(1558年)、甲斐国国主武田信玄によって山梨郡板垣郷(甲府市善光寺)に創建された。開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空。

『高白斎記』に拠れば、戦国時代の大永3年(1523年)6月10日・大永7年(1527年)7月8日には甲斐守護・武田信虎が信濃善光寺に参詣している。信虎は当時、敵対する甲斐の有力国衆や他国勢力と抗争を繰り広げており、信濃善光寺への参詣は信虎が国内を留守にできるほど甲斐の統一的状況が生まれていたとも評価されている。また、信虎個人の宗教的動機のほか、大永4年(1524年)2月には上野国の関東管領・上杉憲房と相模国・北条氏綱の抗争に介入して関東へ出兵しており、大永7年6月には信濃佐久郡の伴野貞慶を援助するために国外へ出兵していることから、政治的動機も指摘される。

天文10年(1541年)6月14日には信虎嫡男の晴信(信玄)が信虎を追放し、家督を相続する。晴信は天文年間から信濃侵攻を本格化させ、北信濃の国衆を庇護する越後の長尾景虎(上杉謙信)と衝突し、北信濃(長野県長野市南郊)において五次に渡る川中島の戦いを繰り広げる。

天文24年(=弘治元年、1555年)の第二次合戦では戦火が信濃善光寺に及び、善光寺別当の栗田氏は武田氏に味方しており、これ以前から接触があったと考えられている。同年閏10月には駿河国・今川義元の仲介により武田・長尾間の和睦が成立し、景虎は信濃善光寺・大御堂本尊の善光寺如来や寺宝を越後へ持ち帰り、直江津(新潟県上越市)に如来堂を建設した。

これに対し、晴信は弘治3年2月15日に信濃善光寺北西の水内郡・葛山城(長野市)を落とし一帯を勢力下に置くと、信濃善光寺本尊の阿弥陀如来像や寺宝を甲斐国甲府へ移転させ、栗田氏らも甲府へ転居した。善光寺別当栗田氏も武田方と上杉方に分裂している。

甲州市塩山・向嶽寺の『塩山向嶽庵小年代記』・永禄元年条に拠れば、同年9月15日に善光寺如来は甲斐に到着し、甲斐の領民は狂喜したという。また、『王代記』では善光寺如来は同年9月25日に到着したとし、同年10月3日から板垣郷で普請が開始されたことを記している。甲斐善光寺の造営は長期に渡り、善光寺如来は仮堂に収められ、永禄8年(1565年)に本堂が完成し、入仏供養が行われたという。その後も、元亀年間に至るまで造営は続いた。

天正10年(1582年)には織田信長・徳川家康連合軍による武田征伐が行われ、武田勝頼は滅亡する。信長は戦後に残党狩りを行い甲府で多くの武田家臣を処刑しているが、『甲陽軍鑑』等によれば、甲斐善光寺では勝頼従兄弟の葛山信貞、郡内領主・小山田氏の当主小山田信茂、小山田一族の小山田八左衛門尉、山県同心の小菅五郎兵衛らが処刑されたという。


〇近世・近現代期の甲斐善光寺

江戸時代には浄土宗に帰依していた徳川氏の庇護を受け、浄土宗甲州触頭となる。江戸時代中後期には甲斐国古関村丸畑(南巨摩郡身延町)出身の木食僧・木喰が甲斐善光寺を訪れる。木喰は諸国を廻国し木喰仏と呼ばれる多くの木像を残し、寛政12年(1800年)には日本一周を達成し、故郷の丸畑で四国堂を創建している。木喰は最晩年の文化5年(1808年)4月に甲府市城東の教安寺において七観音(甲府空襲で焼失)を制作したのを最後に記録からは見えないが、甲斐善光寺に伝来する「阿弥陀如来図」は文化5年3月21日の作で、阿弥陀如来の図像のほか6首の和歌が記されている。


ってな感じで、ココもまた、由緒あるお寺なんですね~
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詳しくは、こちらからオナシャーッス!
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やや色褪せた赤色が、Ref.1675ペプシLikeでイイですね~
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おっと、大仏様も鎮座しておられました。
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こんな感じで、武田家の歴史を感じることができました。

山梨大学はオプションでしたが(笑)

この続きも、なるべくハリーでアップしたいと思います!
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  1. 2015/11/04(水) 20:56:03|
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